ジャン=フランソワ・ド・トロワ

「真実のヴェールをはぐ時の寓意」 1733

ジャン=フランソワ・ド・トロワという画家がいます。

 

1679年から1752年に活躍したフランスの画家で光輝性(こうきせい)を帯びた色彩描写と劇的な画面展開が特徴です。

 

通常、絵を鑑賞する時には、単純に奇麗とか美しいとか迫力があるという事が評価の基準になると思いますが、西洋画の場合には伝統的なルールが存在し、象徴物(アトリビュート)や寓意(アレゴリー)といった約束事が存在するようです。

 

これは字が読めなかったヨーロッパの人々に聖書を理解させる為に物自体に意味を持たせた事に由来するようです。

 

例えば、聖母マリアであれば「百合の花」で、ペテロであれば「鍵」などが象徴になります。

 

西洋絵画の象徴物は庶民の宗教であったギリシャ神話と聖書によって徐々に決まっていったものだとされます。

 

今回、紹介したいと思った絵は、ジャン=フランソワ・ド・トロワの「真実のヴェールを剥ぐ時の寓意」です。

 

主役はもちろん、中央の女性になります。

 

この黒い球体に乗っている女性はギリシャ神話の「テュケ」と呼ばれる「運命の女神」になります。

 

球体は幸運にも不幸にも、どちらにも転がる不安定な要素を表します。

 

そして、その左には蛇を持つ女性、剣と天秤を持つ女性、獅子を従える女性などが我に幸運を授けて欲しいと「運命の女神」に懇願しているような雰囲気を醸し出しています。

 

この蛇を持つ女性は豊穣の女神のデメテルで「富」を表し、剣と天秤を持つ女性は裁判の女神のテミスで「正義」を表し、獅子を従える女性は大地母神のキュベレーで「知識」を表し、誰が「運命の女神」から「幸運」を貰えるかを競っているようにも見えます。

 

そして、画面の上で鎌を持って「運命の女神」の衣を掴んで引っ張り上げている老人が時の神クロノスです。

 

このクロノスは人の寿命を決める死神のような誰もが恐れる神なのに「運命の女神」の表情はどこか楽しげで含みのある笑みを浮かべています。

 

反対に恐ろしいはずのクロノスの表情が困った顔をしているようで、とても面白い対比になっています。

 

通常、寓意画で「テュケ」を描く時には目隠しをしていたり、無表情なものが多いからです。

 

そして、右の仮面を「運命の女神」に剥ぎ取られている女性は慌てて顔を隠す仕草をしていて仮面は虚偽を表しているものと思われます。

 

「運命の女神」は嘘が嫌いで正直なものに「幸運」を授ける性質があると言われます。

 

私はこの仮面の女性はギリシャ神話で最も古い大地母神のガイアを表していると思います。

 

息子のクロノスを唆し、夫のウラノスの男根を切り落とさせた女神です。

 

彼女がクロノスに鎌を与えた張本人で、デメテルや、テミス、キュベレーなどの女神のルーツであり、本性だという事です。

 

ガイアが右手で「運命の女神」の陰部を押さえているのは、そこが万物を生み出す大地母神の本性だということを表しているようです。

 

死を象徴するクロノスをよそに、真実が全て分かる時がくると「運命の女神」が笑っているように私には見えます。

「キューピッドとプシュケー」 1735

こちらもジャン=フランソワ・ド・トロワの作品です。

 

プシュケーがキューピッドの姿を見てびっくりしてランプの油を溢して火傷を負わすギリシャ神話の一場面を描いたものです。

 

プシュケーは人間でありながら、パリスの審判でヘラやアテナにも打ち勝ったヴィーナスさえも敵わない美貌を持っていました。

 

嫉妬のあまり、ヴィーナスからプシュケーは醜い怪物と結婚すると宣言され、刺客としてキューピッドが送り込れます。

 

しかし、眠っているプシュケーの姿を見たキューピッドはあまりの美しさに動揺してしまい、誤って恋の矢で自分を傷つけてしまい自分がプシュケーの恋の虜になってしまいます。

 

プシュケーの美貌がヴィーナスを怒らせている事を知った人間達は誰も彼女にプロポーズをしようとせず、独身のプシュケーが心配になった両親は太陽神のアポロンに神託を願い出ました。

 

すると、プシュケーは人間とは結婚が出来ず、怪物と結婚する運命なので山の頂上に連れて行き、そこに置いてくるように言われます。

 

両親はショックでしたが、神託は絶対なので悲しみながらもプシュケーに婚礼のドレスを着せて山の頂上に置いて帰りました。

 

すると西風の神ゼフィロスが彼女を持ち上げ、森の奥の宮殿へと連れて行きました。

 

宮殿に入ると声だけの召使がいて、豪華な食事と立派な浴槽のお風呂でもてなされ、最後には寝室に案内されました。

 

しばらくすると暗闇の寝室に誰かが入って来てこう言います。

 

「私があなたの夫になるものです。決して姿を見てはいけません」

 

それからプシュケーは姿を見せない声の主人と幸せな毎日を過ごします。

 

しかし、ある時、両親と二人の姉の事を思い出して自分が幸せである事を知らせたいと思うようになり、声の主人に姉達を宮殿に招待したい事を打ち明けます。

 

声の主人は最初は嫌がりましたが、最後はプシュケーの願いを聞き入れました。

 

宮殿に招待された二人の姉は、その宮殿の豪華さや、食事、召使のおもてなしなどに驚いたのと同時に嫉妬を抱き、その声の主が、きっと恐ろしい大蛇で、プシュケーを太らせて食べようとしているんだと耳打ちします。

 

そして、夜に主人が寝静まったら姿をランプで照らして、大蛇であったなら短剣で刺し殺すといいと言われます。

 

この「キューピッドとプシュケー」の絵はプシュケーが姉に唆されて声の主人の本当の姿を見た瞬間を描いたものです。

 

声の主人の正体はキューピッドで、キューピッドのあまりの美しさに今度はプシュケーが驚き、手に持っていたランプの油を溢してキューピッドに火傷を負わせてしまいます。

 

目が覚めたキューピッドは姿を見てはいけないという約束を破ったプシュケーに、「愛と疑いは一緒にいることは出来ないんだ」と幸せだった暮らしに終わりを告げてその場を立ち去ります。

 

キューピッドはキリスト教のイエス・キリストに当たり、プシュケーは香油を注いだマグダラのマリアに当たります。

 

ユダヤ教では油を注がれたものが救世主になると信じられていて、このシーンが正に救世主の誕生を意味しています。

 

「信じる者は救われる」という言葉は「愛」は信じる事が重要だということを教えています。

 

このキューピッドとプシュケーの物語は、その後、プシュケーがキューピッドの寵愛を失いたくない為に永遠の若さを手に入れる代わりに永遠の眠りにつくという禁断の玉手箱を開けてしまうという続きがあります。

 

これも、ディズニーの「眠れる森の美女」の原作に当たるような物語りです。

 

日本の浦島太郎の玉手箱は、このプシュケーの歳をとらない玉手箱の話を真逆にしたものだという事がわかります。

 

「眠れる森の美女」では真実の愛を持った王子様のキスで目覚めるという設定でしたが、プシュケーの物語ではキューピッドが眠りを起こした玉手箱の煙をもう一度かき集めて玉手箱に戻したというかなり強引な話になっています。

 

そして、最後はキューピッドによって不老不死のネクタルという飲み物を飲んでプシュケーは歳を取らない神の仲間入りをします。

 

ネクタルとは花の「蜜」で、人間から神へと変わった女性という事で、芋虫から美しい姿に変わる「蝶」がプシュケーの象徴物として絵画に描かれるようになります。

 

「蝶」になる過程で眠ったような状態の蛹(さなぎ)になる事や、蜜を求めて花から花へと、ひらひらと移動する事から、これらの物語が出来たんだと思います。

 

「蝶」には儚さや夢といった意味があります。

 

永遠には生きられない弱々しくも美しい昆虫です。

 

完全なものを求める人間もまた、儚い「蝶」のような存在なのかもしれません。