フィンセント・ファン・ゴッホ

「ローヌ川の星月夜」1888年

ゴッホはオランダ出身の画家で、ポスト印象派の画家です。


「印象派」の影響を受けながら印象派とは一線を画する「表現派」の先駆けとも言われました。


「表現派」は、20世紀初頭にドイツで起こった芸術運動で、感情を作品中に反映させて表現する傾向の事を指します。


伝統的な様式は破壊され、自然主義とは正反対の立場をとります。


1987年に安田火災海上保険(現在の損保ジャパン)がオークションでゴッホの「ひまわり」を53億円で落札した事で、絵に興味がない方でも名前は知っている画家だと思います。


しかし、当時、ゴッホの絵を理解する人はいず、生前に絵が売れたのは友人の姉のアンナ・ボックが買ったとされる400フランの「赤い葡萄畑」だけだと言われます。


貧窮するゴッホの生活を弟のテオが仕送りをして支えます。


ゴッホはアルル在住時に、「黄色い家」という絵にも描かれた家を借りて、その家を飾るために「ひまわり」の絵を描いたと言われます。


黄色が好きな画家で、キャンパスに油絵の具を力強く練りつけたような独特のタッチは、感情をキャンパスに叩きつけるような印象を与え、見る人の目には、メラメラと炎が燃え盛るような錯覚を覚える為、「炎の画家」と呼ばれるようになります。


この「ローヌ川の星月夜」は、オルセー美術館に所蔵されるゴッホの作品で、ローヌ川に映し出される黄色のガス灯の光が綺麗で、「補色」(ほしょく)の効果をうまく使った作品と言えます。


「補色」の効果とは「赤と青緑」、「紫と黄緑」、「黄色と青紫」といった色相環(しきそうかん)で反対に位置する色を並べると、互の色を引き立てあう相乗効果を指します。


要するに、全く異質のものを隣に置くと、両方の個性が強調されるという事です。


この場合は、暗い夜の風景に、明るく光り輝くガス灯の光が補色の関係になります。


ガス灯の光を強調する為に、夜空の星の光は、抑え目に描かれていて、うまく全体を調和させる役割をしています。


この頃は、穏やかなゴッホの心境が伺えますが、同居していた親友のゴーギャンと喧嘩をして、自分の左耳を切り落とすという事件を起こし、サン=レミの精神病棟で療養中に描かれた「星月夜」では作風が一転します。

「星月夜」1889年

ゴッホの代表作の一つで、ニューヨークの近代美術館が所蔵しています。

 

黒い糸杉の木が天に向かって大きく伸び、星も負けじと巨大になり、夜空が渦巻いていて異様な雰囲気を漂わせているダイナミックな作品です。

 

「炎の画家」という形容詞がぴったりです。

 

おそらく、このような作品が生まれたから、ゴッホは有名になったのかもしれません。

 

出来れば、ゴッホが自殺する前に売れて欲しかったと思います。

 

個人的には、「ローヌ川の星月夜」の方が好きなのですが、ゴッホらしさを作品に求めると、こちらの作品かもしれません。

「花咲くアーモンドの木の枝」1890年

最期に紹介したい絵はアーモンドの木を描いたゴッホの作品です。

 

弟テオに長男が生まれた際に、ゴッホが弟テオに送った出産祝いの作品です。

 

この絵は鬼気迫るタッチのゴッホの作品にしては珍しくとても穏やかな印象を与える作品です。

 

一斉に花開くアーモンドの木です。

 

アーモンドは桃の近種で、バラ科サクラ属で桜とも同じ系統に属する木になります。

 

ユダヤ教の三種の神器「アロンの杖」やギリシャ神話の「フュリス」の木として「不滅の愛」を象徴する「奇跡」の木とされます。

 

ゴッホは生前は世間にまったく認められなかった画家なのですが、兄の才能を信じたテオ、そしてそのテオを支えた妻ヨーもまた、愛する夫の信じるゴッホの才能を信じ、ゴッホが亡くなった後もゴッホの個展を開き続け、徐々に知名度が上がっていったと言われます。

 

テオは生まれた長男にゴッホと同じフィンセントという名前にしようと思っているとゴッホに手紙を送っていました。

 

この絵はテオの死後は妻ヨーに、その死後はその長男のフィンセント・ウィレムに受け継がれ、現在はゴッホ財団となり、オランダのアムステルダムにあるゴッホ美術館に収蔵されています。

 

ゴッホの事を知らない人はいないほど、世界的に有名な画家となりましたが、全ては「愛」が生み出した「奇跡」と言えそうです。