アルフォンス・ミュシャ

「黄道十二宮」1896-97年

ミュシャはアール・ヌーボー様式の巨匠で、現在のチェコ共和国で生まれ、パリの舞台女優、サラ・ベルナールのポスターを制作して一躍有名になりました。

 

アール・ヌーボーとは、19世紀から20世紀にかけてヨーロッパを中心に開花した美術運動でフランス語で「新しい」(ヌーボー)「芸術」(アール)という意味になります。

 

何が新しいかと言うと、写実的な絵画だけではなく、草や花などを植物の形態を借りて曲線、曲面を用いて装飾的、図案的に表現した点です。

 

アール・ヌーボーは建築にも影響を与え、ゴシックからは理論的なモデルを、ロココからは非対称性の応用を、バロックからはフォルムの造形的な概念を引き継ぎながら、可能な限り曲線が用いられ、自然のフォルムが表現されました。

 

代表的な建築家に「ヴィクトール・オルタ」、「チャールズ・レニー・マッキントッシュ」、「エミール・ガレ」などがいます。

 

絵画に対しては、それまで、遠近法で写実的に描く事に慣れたフランスの印象派の画家達が、非対称で、平面的で、抽象的な日本の「浮世絵」(うきよえ)に衝撃を受け、「ジャポニスム」という流行が生まれ、アール・ヌーボーへと繋がっていきます。

 

ゴッホは、「浮世絵」を500点以上もコレクションとして所持していたと言われ、あの渦を巻いたような作品は、浮世絵の影響の可能性が高いように思います。

 

日本では、元々、勾玉や、縄文土器などの曲線の造形を得意とし、フランス人のルーツの一つであるケルト民族と同じツングース系の血が入っています。

 

その為、フランス人にはケルト模様と根本が同じ「浮世絵」に、共鳴する所があったのかもしれません。

 

魔法や、妖精を信じていたケルト人の中で、一番人気があったのが「ブリギッド」と呼ばれる太陽の女神で、キリスト教を布教する為に、聖パトリックという司教が「十字架」の背景に太陽を表す「円」を組み合わせた「ケルト十字」と呼ばれる十字架を作り、キリストと、ブリギッドは同じ神様だと説きました。

 

同じケルト人であるグレートブリテン島の南西部のウエールズには「アリアンロッド」と呼ばれる月の女神が信仰されていて、この「ブリギッド」と同一神だとも言われます。

 

月の女神で、銀の馬車に乗っていると言われる事からウェールズ語で「銀」(アリアン)の「車輪」(ロッド)と呼ばれたそうです。

 

「北冠座」(きたかんむりざ)の守護神とも言われます。

 

ギリシャ神話では、ヨーロッパで最初の文明が起こったクレタ島と呼ばれる地中海に浮かぶギリシャ共和国最大の島があり、そこに、ミーノータウロスと呼ばれるアーリア人を象徴するのだと思われる牛の化物に悩まされるミーノースという王様がいて、ミーノース王の王女アリアドネーと、トラキア人を象徴する酒の神ディオニューソスが結婚して、ディオニューソスが王女に贈った冠が「北冠座」になったとされます。

 

トラキア人は遺跡の発掘から「黄金」と「馬車」の文明を持つ「太陽」を信仰する民族だという事が分っており、ワインを飲む文化があり、ディオニューソスを信仰していたと言われます。

 

ミーノース王のミノア文明はアカイア人の侵入により滅亡し、アリアドネー王女が、どういう民族だったのかは分かりかねますが、ケルト人に近い「銀」の「月」を信仰する民族で、それが「黄金の車輪」から「銀の車輪」に変わった理由かもしれません。

 

トラキア人は、ヘルメスという神様も信仰していたと言われ、ヘルメスが象徴するものは、「太陽」と「月」が重なる事を「蛇」で表した「ケーリュケイオン」と呼ばれる「魔法の杖」です。

 

このケルト十字の「円」は「アリアンロッド」の「車輪」の意味も含まれているのかもしれません。

 

ケルト十字の話

 

キリスト教に改宗しないで、ブリギッドを信仰する女性は、やがて魔女として迫害されることになります。

 

ちなみに、シンデレラの物語で、シンデレラが旅に出る父親からお土産は何がいいかと尋ねられて、最初に父の体に触れた森の木の枝を希望しますが、その枝が実は「ハシバミ」の木の枝です。

 

「ハシバミ」の枝は、シンデレラにカボチャの馬車や、豪華なドレスなどの奇跡を与えてくれたフェアリー・ゴッドマザーの「魔法の杖」です。

 

ケルト人はヘーゼルナッツを「知恵の実」だとして、それが実る「ハシバミ」の木は神聖な木で無闇に切ったりはしてはいけないという信仰がありました。

 

ヘーゼルナッツは糖分も多くクッキーなどのお菓子の原料に用いられました。

 

現在でも、糖分が大脳の働きを活発にする事は医学的にも証明されていて、糖分を多く含むナッツが「知恵の実」とされたのは、あながち間違いとは言えません。

 

日本ではドングリの出来る「樫の木」がハシバミの木の代用で、蘇我氏のシンボルでした。

 

神武天皇が橿原に住居を構えたのは、「樫の木」が沢山あったからです。

 

「樫」は「菓子」と同じ意味だというわけです。

 

シンデレラを幸福にする物は、王族を象徴する「冠」(ティアラ)ではなく、平民の象徴の「靴」ですが、これはケルト人を表しているようです。

 

ケルト人の信じる妖精の一つに黄金のありかを知っていると言われるレプラカーンと呼ばれる小人がいます。

 

靴職人なんですが、この妖精は一日に片方の靴しか作らないと言われ、何故、片方だけなのかというと、この小人が一本足だからだと言われます。

 

おそらく、十字架のカカシを象徴し、キリスト教のシンボルになる以前のペルシアのミトラ神を表しているのだと思われます。

 

ミュシャの絵に描かれる人物の背景の「円」は、ケルト十字の「円」を思わせます。

 

正教会で多く作られたイコン(聖画像)も、人物の背景に「円」が描かれる事が多いのも、ブリギッドという太陽の女神の信仰が根本にあるのかもしれません。

 

「黄道十二宮」は、そんなミュシャの代表作です。

 

中央の女性のような人物は、智天使ケルビムだそうです。

 

上部の葉っぱと、横顔の顔の部分だけが写実的で、髪の毛は単純化され、装飾的に描かれています。

 

下の左右に描かれた二つの「円」の中の「太陽」と「月」も、図形的に描かれています。

 

ミュシャの魅力は、左右非対称(アシンメトリー)の写実的な絵と、左右対称(シンメトリー)の装飾的な図形との調和にあるのだと思います。

 

非対称のものも、同じ図形に収めて、調和、融合させます。

 

その作品が作り出す雰囲気は、お洒落で、優雅です。

「真福八端-幸福なるかな、心の清き者」1906年

こちらは、同じミュシャの「真福八端-幸福なるかな、心の清き者」という作品です。

 

20世紀初頭にアメリカのエヴリボディーズ・マガジンからの依頼により作成されました。

 

新約聖書マタイ福音書5章3節から12節に記される、主イエスが弟子らと共に集まった群衆へ幸福の説教をおこなう山上の垂訓の場面を描いているそうです。

 

画面の手前の少女は、手に卵の入った鳥の巣を抱えていて、顔の表情から目が見えない事が分かります。

 

「神を見る清らかな心」がテーマにあるようです。

 

そして、周りの草花の装飾がアール・ヌーボー的に描かれています。

 

スパゲッティ様式などとも揶揄されたお馴染みの紐の組み合わせによる模様です。

 

ケルトでは、紐は脱皮する蛇を象徴し、生命の循環を表しているそうです。

 

ベランダの鉄格子や、窓の装飾、街灯のデザインなど、フランスの街では、いたる所にその影響を見ることが出来ます。

 

産業革命が進んで、全てが大量生産されて単純な造形物が多くなる時代に、アール・ヌーボーが流行したこの時代をベル・エポック(良き時代)として懐かしむ風潮が存在します。

 

ウィリアム・モリスに代表される手作り作品を見直そうとするアート・アンド・クラフツ運動も、同じ動機が働いていました。

 

日本人にも、未だにファンを虜にして止まない魅力的な時代だと思います。