往駒大社(いこまたいしゃ)

「風神」の龍田大社、「水神」の廣瀬大社に対して、「火神」の往駒大社です。

 

私は龍田大社の「風」は「キリスト教」、廣瀬大社の「水」は「道教」、往駒大社の「火」は「仏教」を表していると思います。

 

何故なら唐代の景教徒(キリスト教徒)は「聖霊」を「浄風」(じょうふう)と呼び神様の力を「風」に例えました。

 

道教は上善如水(じょうぜんみずのごとし)と「水」を最上の物と例えました。

 

仏教は火葬を是とし、特に密教では「火」を煩悩を焼き払うものとして尊びました。

不動明王の「炎」であり、大日如来の太陽の「日」を表し、密教の核を表していると言っても過言ではないと思います。

 

往駒大社の御祭神は、伊古麻都比古神(いこまつひこのかみ)と、伊古麻都比賣神(いこまつひめのかみ)という聞きなれない神様ですが、そこに神功皇后(じんぐうこうごう)の家族達(五座の八幡神)が一緒に祀られています。

 

生駒山自体が御神体だそうですが、伊古麻都比古神(いこまつひこのかみ)とは、私は太陽神の饒速日命(にぎはやひのみこと)を表しているのではないかと思います。

饒速日命のモデルは不動明王でもある天智天皇だと私は思います。

往駒大社の往駒(いこま)が生駒(いこま)ではなく往生する駒(馬)となっているのは、元々は蘇我氏のシンボルである「麒麟」(きりん)がいなくなったことを表しているのだと思います。

 

私は消えたイスラエル王国の十支族のリーダーのエフライム族が蘇我氏だと思っています。

 

エフライム族のシンボルはユニコーン(麒麟)です。

 

蘇我氏に滅ぼされた物部氏は「蛇」をシンボルとするダン族で、天智天皇はダン族が天皇家に嫁いで生まれた唯一の生き残りだったのだと思います。

 

天智天皇を助けた藤原鎌足は百済の王族で「鹿」をシンボルとするナフタリ族で、ダン族とナフタリ族は母を同じくする同族で、百済が物部氏に贈った「七支刀」(しちしとう)は「鹿の角」であり、「友情の証」だったのだと思います。

 

蘇我氏のシンボルである「麒麟」は「一角獣」で角の生えた「馬」になります。

 

現在、「生駒」が浸透しているのは後世の人が「往生する馬」では縁起が悪いと考えて「生きる馬」に漢字を変えたという説も考えられそうですが、ヤタガラスという名前の聖徳太子の「黒駒」や、妙見菩薩の乗り物の「亀」(玄武)の意味も含ませて「生駒」という名前が付けられたのかもしれません。

 

私は聖徳太子は架空の人物だと思っていますが、「黒駒」の世話をした調使麻呂(ちょうしまろ)は実在した人物だと思っています。

 

つまり、「馬」は「生きていた」という事です。

 

聖徳太子の死後300年経ってから、聖徳太子について語った聖徳太子伝私記(しょうとくたいしでんしき)の作者である法隆寺の僧 顕真(けんしん)が調使麻呂の子孫だという事実が重要だと私は思います。

これは、将棋の駒を大きくした「飾り駒」という置物で、「馬」の字が逆さまに書かれた「左馬」(ひだりうま)と呼ばれるものです。

 

将棋の駒の中で一番偉い「王将」と、この「左馬」が縁起物として尊ばれます。

 

何故、左なのかと疑問に思われる方も多いと思いますが、古来から、「うま」という言葉を逆さまにすると「まう」なので「舞う」に通じ、祝いの席に欠かせない縁起の良いものだからという説明がなされてきたようです。

 

「馬」という駒は「角」が相手の陣地に入って成った時に裏側に書かれた文字で、「竜馬」、つまり「麒麟」を指します。

 

だけど、逆さまに書かれた「馬」なので、「麒麟」ではない事になります。

 

これは、聖徳太子の「黒駒」、「八咫烏」を指し、舞踏の王、ダンシングシヴァ「大黒天」を意味するのだと思います。

 

「馬」は元々、毘沙門天(ヴィシュヌ)のシンボルですが、逆さまになる事で大黒天(シヴァ)のシンボル「牛」になるようです。

これは仏教寺院のマークである「卍」(まんじ)にも同じ事が言えます。

 

「左卍」は「大黒天」のマークで「和」(愛)の象徴ですが、元々は「右卍」が最初で「毘沙門天」の「力」(智恵)の象徴でした。

 

現在は「卍」は馬の旋毛(つむじ)を象徴した記号だとされますが、元々は太陽光を象徴した記号で、右卍が「火」(力)、左卍が「水」(和)で、この「火」(智恵)と「水」(愛)の融合が道教の太極図になります。

 

日本人が、ここにわざわざ「風」を加えて「三つ巴紋」を生み出したのは、「火」(イエス・キリスト)と「水」(マグダラのマリア)の子供である「風」(サラ)が重要だからのようです。

 

「子供は風の子」という言葉は、奈良県の「童は風の子」という童謡がルーツですが、「生駒」の「駒」が大人の「馬」ではなく子供の「駒」なのも「子」(子孫)が重要だからのようです。

 

阿弥陀如来が無量寿(愛)と無量光(智恵)の二つの名前を持っているのも「力」と「和」の両方の徳を持ち合わせているからのようです。

たくさん馬の絵が奉納されています。

本殿です。

 

この往駒大社では、1月1日に追鶏祭(とりおいさい)という祭事で新年が始まるそうです。

 

神功皇后が朝に出兵する際に、鶏が鳴くのを合図にしたが、鶏が鳴かなかった為に出発が遅れ、お怒りになった神功皇后は、鶏を川に流したとされ、それ以来、厄を祓う為に、鶏を追い払う祭事が行なわれるようになったそうです。

 

龍田大社(たつたたいしゃ)の方では、その川から流れてきた鶏を拾って、使いとしたとされ、鶏とは秦氏を指し、龍田大社は天武天皇を表していると私は思います。

 

日本に流れて来た景教徒(秦氏)にとって鶏は「三度知らない」と言ったペテロの「裏切りの象徴」で自分達を異端として追放したカトリックの象徴でもあります。

 

秦氏の信仰した鳳凰はオスとメスの二羽が対になっているとされ、死んでも蘇る救世主の「二羽の鳥」(にわのとり)の代わりにされたようです。

 

飛べない鳥で、本来は秦氏にとって自分達と一緒にはして欲しくない鳥だったと思います。

 

景教徒がカトリックから異端とされた一番の理由は、イエス・キリストを「神」ではなく、「子」を生む「人」だと主張した点だと私は思います。

 

カトリックはマグダラのマリアを淫欲な娼婦に落としめ、「性」を汚いものだと主張しました。

 

その為、日本の毘沙門亀甲紋には「人」という文字が強調されていて、法隆寺金堂の高欄の「卍崩し」や、それを支える「人字形割束」(ひとじがたわりづか)など独特な様式で建てられたのだと思います。

 

密教が「性」を清浄なものとする理趣経(りしゅきょう)を重要視し、空海に東寺を任せて優遇した嵯峨天皇(さがてんのう)の「嵯峨」(さが)は「険しい山」を意味する言葉ですが、本当は「性」(さが)を意味して名付けられたものだと私は思います。

 

法華経に書かれた善女龍王が女性でありながら悟りを開けたとするのも、「愛」(和)を基本に考えているからだと思われます。

 

女性の太陽神である天照大神の誕生は秦氏(景教徒)を省いて考えることは出来ないようです。

 

その地位を狙っていたとする素戔嗚尊が、天照大神の機織りの小屋へ皮を逆剥ぎにした天斑駒(あめのふちこま)という「馬」を投げ込んだという神話も、素戔嗚尊が天武天皇で、毘沙門天の事を表しているようです。

 

逆剥ぎされた「馬」は「赤馬」を意味していて、狭穂彦王の稲城が燃える「火事」を表しているいるようです。

 

「斑駒」(ふちこま)が法隆寺では「斑鳩」(いかるが)の「鳩」(はと)に代わるわけです。

 

これは旧約聖書のホセア書でエフライム族が智恵の「一角獣」(馬)ではなく馬鹿な「鳩」だと書かれている為で、石清水八幡宮で、「鳩」が神使だとされる理由です。

八幡宮の本当のルーツは、宇美八幡宮(聖母マリア)でもなく、宇佐八幡宮(マグダラのマリア)でもなく、宇八幡宮(うまはちまんぐう)、つまり、イエス・キリストだったのだと思います。

 上の画像は「鵤」(いかる)という黄色い太い嘴が特徴の鳥です。

 

法隆寺は昔は「鵤寺」(いかるじ?)と書かれていたそうです。

 

万葉集に出てくる「呼子鳥」(よぶこどり)は、ホトトギスやヒヨドリ、カッコーなど色々な説がありますが、私は家族と共に行動する「鵤」が子供を呼ぶ姿に例えたのだと思います。

 

万葉集という「歌」は相聞歌、挽歌、雑歌と種類はありますが、基本的には「愛」を伝える小鳥のさえずりと同じ意味を持つようです。

 

和歌も素戔嗚尊(天武天皇)の奇稲田姫(持統天皇)を「八重垣」で表した57577の31文字の「愛」の「歌」から始まりました。

 

私はこの「鵤」という鳥は万葉集の歌人の志貴皇子(しきのみこ)を表しているのだと思います。

 

天智天皇の第七皇子であった志貴皇子は後継者争いとは無縁でしたが、薬師(薬学)を勉強して子や孫が皇位につき、現代の皇室へと繋がって行きます。

 

和歌が31文字に拘るのは薬師如来を祀る法隆寺を建てる事を決めた用明天皇が第31代天皇だったからだと私は思います。

 

聖徳太子がイエス・キリストだとすると、その父は本当は養父ヨセフなのですが、全知全能の神ヤハウェになります。

 

また、聖徳太子を「一角獣」のエフライムだとすると、その父は夢によって未来を見通せた「牛」がシンボルのヤコブの子ヨセフになります。

 

ヨセフはヤコブの11番目の子だったので、十一面観音菩薩はヨセフ観音とも言えそうです。

 

毘沙門天を祀る「信貴山」(しぎさん)も、聖徳太子の「信じるべき貴き山」という言葉が由来だとされますが、志貴皇子の「志貴」(しき)が「信貴」(しぎ)の由来だと私は思います。

 

あと、生駒山の北側にある「哮ヶ峰」(いかるがみね)は「哮ヶ峰」(たけるがみね)とも読み、日本武尊(やまとたける)のモデルの建皇子(たけるのみこ)の意味も含んでいるようです。

 

八咫烏でもあり、天武天皇の「鷹」(たか)よりも大きい鳳神社(おおとりじんじゃ)の「鷲」(わし)で表される事もある人物です。

 

「哮ヶ峰」(いかるがみね)は別名を「鷲尾山」(わしおやま)とも呼び、長岡京へと続く天野川(あまのがわ)の源流でもあり、皇極天皇の生駒山の連山でもあります。

 

「斑鳩」(ふちばと)の読みの「いかるが」には複数の「鳥」の意味が含まれているようです。

 

鳳凰の代わりの「鳥」なので、別に何の「鳥」でも良かったのだと思います。

因みに八咫烏を祀る下鴨神社の「鴨」は、子供を大切に育てる頭が青い「水鳥」だったから選ばれたのだと思います。

 

赤い「火の鳥」とは真逆のシンボルで、雛祭りのルーツである「流し雛」(ながしびな)も、「水鳥」である事を強調した儀式なのだと思います。

 

「馬」が「鳩」に変わった経緯については、旧約聖書のホセア書が関係していると先程、話しましたが、「鳩」は「聖霊」(気)のシンボルでもあるので、マグダラのマリアの「和気」(わけ)のシンボルとして選ばれた可能性もありそうです。

 

持統天皇の血を引く称徳天皇(しょうとくてんのう)が、宇佐八幡宮の託宣によって弓削道鏡(ゆげのどうきょう)を天皇にしようとした事件で、天武天皇の血を引く皇族を一掃し、天智天皇の血を引く桓武天皇(かんむてんのう)から再スタートさせる事に成功した、功労者として藤原式家と親戚である和気清麻呂を「秦氏」のシンボルとして護王神社に祀ったのだと思います。

 

政権争いで、藤原種継のように犠牲になった人物もいますが、全ては藤原四兄弟の筋書き通りに進んだのだと思います。

 

ホセア書がエフライム族を貶すのも、アッシリアに滅ぼされたからで、「夢」を叶える為には、やはり、「智恵」や「力」が必要不可欠なようです。

こちらが毘沙門亀甲紋です。

 

三つの亀甲紋が繋がって「人」という形を作り、それが繋がって鎖のようになっている紋です。

 

毘沙門天の甲冑の模様として刻まれる事もある紋です。

「風」の龍田大社のシンボルは「楓」(かえで)です。

 

それも普通の「楓」ではなく、葉っぱに8つの切れ込みが入った「八重の楓」(やえのかえで)と言われます。

 

「楓」(かえで)は本来は葉っぱの切れ込みが3~5つののマンサク科の「フウ」を指す漢字でしたが日本には無かったのでムクロジ科のカエデ属の切れ込みが5つから7つの落葉高木にこの漢字が使用されたようです。

 

江戸時代に中国から徳川幕府に切れ込みが3~5つのカエデ科の「唐楓」(とうかえで)が寄贈されました。

 

園芸品種の花散里(はなちるさと)や、宮様楓(みやさまかえで)は「唐楓」の種類の一つです。

 

「フウ」は栗のようなイガイガの棘のある実をつけるので「伊賀楓」(いがかえで)や原産地の台湾の地名を付けて「台湾楓」(たいわんふう)とも呼ばれます。

 

「フウ」と同じ仲間の北アメリカ原産の「紅葉葉楓」(もみじばふう)が大正時代に渡来しましたが、切れ込みは5~7つで、実も「台湾楓」より粗い太めのイガイガで形状が少し異なります。

 

「楓」(かえで)を龍田大社のシンボルとしたのは、元々は天武天皇が秦氏、物部氏、蘇我氏の「三氏族」が日本を統治する為の神話を古事記の編纂を通して実現しようとした事に由来するのだと私は思います。

 

それが「八重」に特定されたのは、応神天皇(おうじんてんのう)が天武天皇一人を表している人物だったのが「八幡神」(はちまんしん)というみんなを表している人物に変えられたからだと私は思います。

 

応神天皇は「応じる神」で「イエスの神」という意味で、天武天皇は元々はキリスト教を日本に入れようとして自分を応神天皇として古事記に登場させたのだと思います。

 

それが、「応じない」「否彦」(いやひこ)=「彌彦」(いやひこ)という神様になったり、熊野権現(くまのごんげん)の「熊野」(いや)を表したり、三を保つ狭い稲穂で「三保彦」(さほひこ)=「狭穂彦」(さほひこ)という名前がついたりして、応神天皇より母の神功皇后(じんぐうこうごう)が「八幡神」の主役へと変わってしまいます。

 

イエスの誕生を知らせたという新約聖書の「ベツレヘムの星」(八芒星)も本当は「火星」「水星」「木星」の「三星」が重なったものだと言われています。

 

木星の「木」は五行説では「風」と「雷」を含むようで、「火」「水」「風」の三宝荒神である「火之迦具土神」(ひのかぐつちのかみ)が「八幡神」の根底にあるようです。

 

「楓」の葉っぱの形状が鶏のトサカに似ていたので平安時代には「鶏冠木」(かえで)と頻繁に書かれ、鶏の秦氏を統率した天武天皇を冠(トサカ)に例えたのだと私は思います。

金の光背の漆黒の十一面観音像です。

 

鎌倉末期から室町初期のもので、雲慶(うんけい)作だそうです。

 

あの、仁王像で有名な運慶(うんけい)とは別人のようですが、なかなか凛々しい仏像です。

 

十一面観音菩薩は元々はインドのヒンドゥー教ではルドラと呼ばれる11の顔を持つ暴風雨の神様がルーツで、そこにアグニと呼ばれる火の神様と習合して、日本では荒神(こうじん)と呼ばれています。

 

そして、そのルドラの11面のルーツは、さらに時代が遡る旧約聖書のヤコブの子ヨセフが11番目の子供であった事が由来だと私は思います。

 

不老不死の実とされる「橘」(たちばな)を手に入れた天皇も第11代天皇の垂仁天皇になります。

 

荒神は、八王子の親である火之迦具土神(ひのかぐつちのかみ)の別名と考えていいと私は思います。

 

でも、私は11という数字は旧約聖書のヤコブの11番目の息子のヨセフから来る数字だと思います。

 

ヨセフは予知夢の「夢」がシンボルで「牛」で表される人物です。

 

このヨセフの二人の息子がマナセ(秦氏)とエフライム(蘇我氏)です。

 

荒神の炎帝神農も二本の角が生えた神様で天満宮の天神の「牛」と同じです。

 

天香久山(あまのかぐやま)の土=迦具土(かぐつち)を火で焼いて作った「八十平瓮」(やそひらか)と呼ばれる祭器で祭祀を行い神武天皇は東征を成功させ、初代天皇に即位しました。

 

「キリスト教」の事を「耶蘇教」(やそきょう)と言いますが、「イエス」の発音を中国人が「ヤソ」と聞き取った事が原因だと言われています。

 

「八十」(やそ)は「耶蘇」(やそ)と同じ意味で、「平瓮」(ひらか)は「皿」(さら)を意味します。

 

「イエスの皿」という意味です。

 

日本では大国主命に敵対した兄を八十神(やそがみ)として、秦氏を表現したもので、「皿」(さら)はイエスの血を受けた「聖杯」を意味すると私は思います。

 

マグダラのマリアとイエス・キリストの子である「サラ」であり、豊を受けた聖杯の女神「豊受大神」(とようけのおおかみ)を象徴しているのだと思います。

 

八王子は武内宿禰(藤原氏)から出た八氏族を指すのだと思われます。

 

石清水八幡宮の本殿の中に祀られる「武内宿禰」の社と不老不死の実の「橘」の木で表され、「竹」は天武天皇を表し、天武天皇を表す空海ゆかりの高雄山寺を神護寺に改めて和気氏の氏寺にした際に、和気清麻呂のお墓があったとされる男山の神願寺に八幡神を勧請する事で天武天皇が奈良に勧請した高山八幡宮の存在を消す意味があったのだと思います。

 

高山(たかやま)は元々は鷹山(たかやま)で、聖徳太子の川だとされる富雄川(とみおがわ)の源流の高山御池になります。

 

富雄(とみお)は鳶尾(とびお)で持統天皇を意味します。

 

天武天皇から桓武天皇へと政権が移った事で、法隆寺が弁財天(持統天皇)のお寺からお稲荷さん(皇極天皇)のお寺へと変えられたのだと思います。

 

おそらく、法隆寺の元の名は宝龍寺(ほうりゅうじ)で、宝龍寺の守護神は龍田大社の龍田明神(藤原鎌足)ではなく、廣瀬大社の宝龍明神(持統天皇)だったのだと思います。

 

宝龍寺と呼ばれるお寺は全国にありますが、御本尊は十一面観音菩薩であったり、阿弥陀如来であったり色々です。

 

これも、弁財天がお稲荷さんに習合された結果だと思います。

こちらは、二度の落雷と火災の厄災に遭いながら、今も青々とした葉をつける杉の木です。

 

災いにも負けない御神木として参拝者から信仰されているそうです。

 

「杉」も常緑樹で、熊野詣でお稲荷さんへの信仰の証として身に付ける「しるしの杉」や、神功皇后が鷺が三羽飛来して「杉」の木に止まるのを見て住吉大社を建てた縁起など、宗像三女神を表す木という側面もあるようです。

真っ黒に墨のように焼けています。

この上溝桜は別名を「波波迦の木」(ははかのき)と言います。

 

往駒大社が「桜」(火)の太陽、廣瀬大社が「橘」(水)の月、龍田大社が「楓」(風)の星を表すようです。

 

「桜」は太陽神の天照大神の木のようです。

 

天皇家が皇位継承に際して行う宮中祭祀の大嘗祭で「火燧木」(ひきりぎ)には往駒大社の献上する上溝桜の木が使用されているそうです。

 

「火燧木」とは「木」と「木」を擦り合わせて「火」を起こす「木」の名前だそうです。

 

上溝桜は朱桜(かにわざくら)や金剛桜など、色々な呼び名があるようです。

 

上溝桜の実から作った果実酒は「不老不死」の妙薬だとされ、三蔵法師が天竺にお経を取りに行くと同時に、この薬も探しに行ったという逸話も残されているようです。

 

もし、本当なら、この木を使用して「火」を起こすという事は、三蔵法師でさえ魅了する「不老不死」という人間の一番の「煩悩」を「火」によって「焼き尽くす」という意味が籠められているのかもしれません。

 

桜の女神である木花咲耶姫が小屋に「火」をつけて身の潔白を証明して三人の子供を出産する神話とも重なります。

 

天照大神が岩戸に隠れた天香久山について

天照大神の荒御魂とされる瀬織津比賣神(せおりつひめのかみ)です。

 

十一面観音菩薩が本地垂迹だとされる女神です。

 

神功皇后を象徴する女神で、皇極天皇(こうぎょくてんのう)を表しています。

皇極天皇は和邇氏と同族の息長氏の出身で、金刀比羅宮の祭神は大物主命とされますが、物部氏(大物主命)の後を継いだ和邇氏(皇極天皇)が本来の祭神となります。

 

象頭山の神様でもあり、仏教の聖天(しょうてん)さんに当たります。

 

ヒンドゥー教ではガネーシャと呼ばれ、シヴァ(大国主命)の息子とされます。

 

大国主命は敏達天皇に当たり、皇極天皇は敏達天皇の曾孫に当たるので、聖天さんにも該当するようです。

 

お稲荷さんと共に怒ると怖い神様だと言われます。

 

「顕教」(けんきょう)では「毘沙門天」が仏教とヒンドゥー教の「掛け橋」になります。

「密教」(みっきょう)では「聖天さん」が仏教とヒンドゥー教の「掛け橋」になります。

「歓喜天」(かんぎてん)という名前もあり、和合の神様になります。

 

皇極天皇は役割が多く、お稲荷さんや弁天さんとも習合して「宇賀弁財天」(うがべんざいてん)の「白龍大神」でもあります。

 

西を護る龍神です。

倭(やまと)は 国のまほろば たたなづく 青垣(あおがき) 山籠(やまごも)れる 倭(やまと)し うるわし                 倭健命

 

宇佐八幡宮の宇佐(うさ)はウサギの事で「ウサギウマ」、つまり、持統天皇の事でイエス・キリストが聖地エルサレムに入城した時に乗った「ロバ」を表します。

 

人を乗せる「馬」は酒を入れる「樽」(たる)のようなもので「聖杯」(せいはい)を意味します。

 

持統天皇はイッサカル族(蘇我倉山田石川麻呂)の孫であり、青垣に囲まれた「真秀ロバ」(まほろば)で優秀な「駒」(小馬)だということです。

 

「大和」は日本という国の「聖杯」のようなものだというのが、もう一つの意味になります。

 

旧約聖書の民数記22章 バラムとロバの話では、「ロバ」は神を見る「目」と、神の忠告を聞く「耳」を持っていましたが、神の忠告に耳を傾けない人間に意志を伝える「口」がありませんでした。

 

神はその為、ロバに「口」を与えます。

 

聖書で言葉を喋る動物は「蛇」を除いて「ロバ」だけです。

 

耳成山(みみなしやま)

 

最後の晩餐でイエス・キリストは「葡萄酒」は自分の「血」で、「パン」は自分の「肉」だと言いました。

 

「葡萄酒」は無量光(むりょうこう)の「智恵」(力)を表し、「パン」は無量寿(むりょうじゅ)の「愛」(和)=「永遠の命」を表します。

 

「智恵の木」(欲望)と「生命の木」(良心)の両方がそろって初めて天国が完成します。

 

「ロバ」が「性」に淫らな動物だとされるのはマグダラのマリアを排除したのと同じ理由です。

 

ギリシャ神話で「都会」(金)を意味する太陽神アポロンが「野生」(食料)を意味する牧神パンに音楽で挑むのも、トルコ(アルメニア)という国が「蛇」(ヒッタイト人)と「ロバ」(フルリ人)の国で、キリスト教(葡萄酒)よりイスラム教(パン)を選んだという歴史的な事実も、マグダラのマリアを排除した時から決まっていた未来なのかもしれません。

 

旧約聖書の創世記16章12節にイスラムの祖とされるイシュマエルは「野生のロバ」のようになると書かれていて、ユダヤ人からは「ロバ」は異民族の「隣人」の象徴となります。

 

「ロバ」は物部氏と秦氏と蘇我氏、ユダヤ教とキリスト教とイスラム教、神と人間と動物(自然)の「架け橋」で、イエス・キリストの「肉」そのものだという事です。

 

穀物神の大宜都比売(おおげつひめ)の陰部から生まれたのが「麦」(パン)だとする日本の神話も、マグダラのマリアを認めないキリスト教への批判が根底にあるからかもしれません。

 

「愛」も「歌」も「性」もキリスト教の重要な片側だという事です。

 

それでは、帰りましょう。

コメント: 2 (ディスカッションは終了しました。)
  • #1

    たぬき (水曜日, 28 10月 2015 23:08)

    イコマツピコ(ピメ)。
    イは美称。尊称(偉大など) 。原型は『五十』(イソ(イシ、イセ、、、救済、救世主)、イ。)
    コマは、高麗のコマではないか?
    都はトとも読め『十(と、そ)。最高』。また、接続詞『の』の意味合い。

    偉大なる高麗の貴人(神様)
    、、、高句麗(句麗クレ)、、、高句麗を呉国と表記している場合も
    高句麗とその同族の百済のそれぞれの王家の旗印は共に三足鳥、、、八咫烏

  • #2

    やっしー (木曜日, 29 10月 2015 06:05)

    たぬきさん、いつもコメントありがとうございます。